救急科(総合診療部)
診療内容・特徴
宮崎善仁会病院は,発足当時から救急医療の充実に取り組んでいました。災害医療は救急医療と密接に関連していましたが、病院の規模も100床と小さかったため、災害拠点病院としての登録は長いことしていませんでした。しかしながら、2011年3月11日の東日本大震災のときには、医師会が派遣するJMATとして医療チームを派遣し、避難所救護所活動を行いました。その後、2015年に災害拠点病院として登録され、日本DMAT研修を受け、DMAT指定医療機関として登録されました。2016年4月に発生した熊本地震では、広域医療搬送の宮崎側受け入れチームとしてDMAT活動に参加したのが当院の初めての活動となりました。
その後、2017年九州北部豪雨災害や、2018年西日本豪雨災害への活動への参加を検討しましたが、院内調整の難しさから、活動には至りませんでしたが、次回はなんとかしようと考えていました。
2020年2月には、ダイヤモンド・プリンセス号内での新型コロナウイルスのクラスター発生で、船内活動のためDMAT活動要請があったとき、手揚げをして活動に参加いたしました。新型コロナウイルスについては、いろんなことがまだわからなかった時期です。後の集計を見ると、活動期間中に一番多く患者さんを搬出した時期となっていたようです。活動にあたった隊員も、感染することなく帰着しました。
次に、2020年7月の熊本豪雨でDMATとして活動しました。芦北地区の被災した病院の入院患者を全員避難させる「病院避難」ミッションに携わりました。当院のチームは、搬出ミッションの病院側指揮隊として活動を行い、スムーズな搬出ができたと思います。
DMATは、隊員として登録されたあとも、その技能を維持するために様々な訓練を行っております。局所テロ事件や、津波災害などの訓練を行ってきています。2019年に行った津波対応訓練では、病院に残った傷病者をどう搬送するかについては、津波で被災した病院周囲の道路が使えなければ、ほとんど搬送できないことが明らかになりました。2020年8月には宮崎市郡医師会病院も宮崎西部の津波に被災しない地域に移転し、ヘリポートも備えました。当院は2021年1月4階建てから8階建ての津波避難ビルの役割を備えた新病院となりました。新病院の屋上にはヘリポートを備え、津波で孤立したとしても、患者搬送・物資の搬送には困らない構造となりました。南海トラフではM8~9の地震が30年間に70-80%の確率で発生するのではないかと言われております。自身に耐ハード面の準備のみならず、ソフト面としてのDMATの役割は大きいものと思われます。
市民の森病院と統合したあとの、救急部の役割について
2021年4月1日より、旧市民の森病院と旧宮崎善仁会病院は統合し、新しい宮崎善仁会病院として診療を行っております。
救急部は、救急車に収容された患者さんの救急対応、外来診療中の急変患者対応、外傷患者の対応などを主に行っております。救急外来診療室は、スペースが十分に取られ、非常に使いやすいと思います。また、統合前には旧病院ではMRIがなかったことから、脳卒中の急性期、脊髄脊椎疾患などは診療に難渋していましたが、新病院になってからは診療機器の充実で、診療の質が向上しております。循環器科、呼吸器内科、消化器内科、リウマチ科、神経内科などの診療科が増加したため、カバーできる救急疾患の幅が広がりました。また、以前から放射線部、臨床検査部は当直をおいていましたが、あらたに薬剤部も当直を置くようになり、より充実した夜間診療が可能となってきております。ただ、救急部の専任医師は1名であり、各診療科の応援をもらいながら、夜間診療を行っています。これから当院の救急部を維持発展させるため、当院救急部で働きたいという方を募集しておりますので、ぜひご連絡ください。